途中だけど、アップしとく。庄司薫の「赤頭巾ちゃん、気を付けて」

途中だけど、アップしとく。庄司薫の「赤頭巾ちゃん、気を付けて」を読んだからアップしとく。後で加筆修正予定。

 

 

しばらくぶりに会った友達と、一体何について話したら良いのかわからなくなってしまう時がある。

テレビや芸人の話でみんなが盛り上がっているんだけど、その話がくだらなく思えて、全然面白いと思えなかったり、相手に対してそんな風に思っている事が伝わってしまうんじゃないかという気がして、余計に何を言ったら良いのかわからなくなってしまう。そんな時、なんとも言えない孤独な気持ちになったりする。

私が本を読んで感じることは、大抵の場合その時の自分の状態を反映していて、今回、庄司薫の「赤頭巾ちゃんきをつけて」を読んだ時、下に記した文章が今の私の答えになっていた。

 

”たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ち止まったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、(中略)ぼくのその考え方が正しいのだということを、なんていうかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じ取ったのだ。そして、それと同時に僕がしみじみと感じたのは、知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだというような事だった。”

”ぼくは海のような男になろう、あの大きな大きなそしてやさしい海のような男に。そのなかでは、この由美のやつがもうなにも気を使ったり心配したり嵐を恐れたりなんかしないで、無邪気なお魚みたいに楽しく泳いだりはしゃいだり暴れたりできるような、そんな大きくて深くて優しい海のような男になろう、たくましくて静かな大きな木の”